【高知】高知との思いで

ゲストハウスのこと, 旅について

2015年4月28日。

私小野雄介は高知県四万十町の地を踏みました。この町全体が1つの宿|四万十町ゲストハウス「Ekimaehouse SAMARU」

それからもうすぐ10年。

3年の地域おこし協力隊を経て、2018年7月にEkimaehousesamaruをオープンして7年が経とうとしています。

 

そんな高知歴10年になる私ですが、それ以前にも何度か高知を訪れたことがあります。

今日はそんな私の高知遍歴について書いてみようと思います。

【初高知は自転車】

私と高知のファーストコンタクトは2003年3月。23歳の時です。

福岡に就職が決まり、それまで住んでいた京都を引き払うことになったとき、載っていた折り畳み自転車を運ぶついでに旅をしようと思ったのがきっかけです。

 

高知を選んだのは、なんといっても坂本龍馬兄に会うためです。

 

大学時代に司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に嵌り、そこから司馬遼太郎作品を読み漁り、大学卒業後は1年間就職浪人をするという名目で京都に住んでいた私にとって、そのきっかけとなった坂本龍馬に会いに行くことはある種決定事項のようなものでした。

 

それも折り畳み自転車で宿も決めずにとりあえず行けるとこまで行くという何とも無計画な旅。

若気の至りか、今だったら計画せずに旅に行くなんて考えられもしませんが、当時は「何とかなるだろう」という思いでした。

 

2003年3月。

京都の部屋を引き払い、3日分ぐらいの着替えをデイバックに詰め込み、折り畳み自転車で京都駅へ。そこから、徳島行きのバスに飛び乗り徳島へ。

 

徳島駅からは、とりあえず海沿いを進めばいいだろうと何も考えずに自転車を漕ぎ始めました。

 

今改めて地図を見ると国道55号線を進んでいるみたいですが、当時はそんなことあまり考えておらずとりあえず青看板に書かれている「高知」の文字を頼りに進んだ気がします。

初日、ひたすらに自転車を漕いでいるとあたりが真っ暗になってきました。

折り畳み自転車なので、ライトも切り替えもありません。

街灯もなく、さすがに恐怖を感じ次に見つけたホテルに泊まることにしました。

すると、一軒のホテルがあったのでとりあえずそこに飛び込んで一泊しました。

この町全体が1つの宿|四万十町ゲストハウス「Ekimaehouse SAMARU」

私が泊まったホテルは東洋町のホテル。数年前に東洋町に行った際にそのホテルがまだあったので感動しました。

【東洋町から高知市へ】

2日目は東洋町から一気に高知市へ。

この町全体が1つの宿|四万十町ゲストハウス「Ekimaehouse SAMARU」

なぜか、河島英五の「酒と泪と男と女」のサビを熱唱しながら自転車を漕いでいました。

夕方ごろに高知市へ。

高知駅前にあった観光案内所にホテルを紹介してもらい1泊しました。

【桂浜】

3日目は雨。

それでも桂浜までは行こうと宿を出発。

途中雨がひどくなってきたのでローソンによって合羽を購入。本当に旅の準備を全くしていませんでした。

高知市内から桂浜までが結構距離があることもこの時に知りました。

この町全体が1つの宿|四万十町ゲストハウス「Ekimaehouse SAMARU」

念願の桂浜。

雨ではありましたが初めて見る竜馬さんには感動しました。

近くの土産物屋さんで竜馬さんのポスターを購入。

この町全体が1つの宿|四万十町ゲストハウス「Ekimaehouse SAMARU」

その後、先に進もうかどうか迷いましたが、雨も強かったので桂浜にあった旅館に飛び込み1泊しました。

【桂浜から一気に】

4日目。

当初は足摺岬の方も回っていこうと思っていましたが、さすがに疲れて足摺は回らず直接宿毛(当時はまだ宿毛⇔佐伯のフェリーがありました)へ向かうことにしました。

それでも行程は130キロほど。切り替えのない20インチの折り畳み自転車では無謀と言われる距離です。

この町全体が1つの宿|四万十町ゲストハウス「Ekimaehouse SAMARU」

でもそれは若さ。

とりあえず、自転車を漕ぎ漕ぎ一路宿毛へ。この町全体が1つの宿|四万十町ゲストハウス「Ekimaehouse SAMARU」

お昼もローソンでかったランチパックを漕ぎながら摂って、漕ぎまくりました。

そして、何とかその日のうちに宿毛港へ到着し、大分県の佐伯港まで行き、そこから迎えに来てくれていた家族とともに実家のある大分県豊後大野市へ帰りました。

 

高知とのファーストコンタクト。

この旅のことを、正直20数年間思い出すことはあまりありませんでした。

でも、地域おこし協力隊としてきた10年前。中土佐のある道を通った時にふと「アッこの道見たことある」と思い出すことがありました。

その日から、この道を通るたびにあの無謀な高知旅を思い出すことがあります。

【2回目・3回目】

その後、高知には移住するまでに2度訪れています。

2度目は社会人になって2年目。初めて買った車で福岡からしまなみ海道を廻り、高知によって桂浜の駐車場で1泊し、そこから神戸を抜けて、滋賀で一泊し、そこから一気に山陽道で福岡に帰るという旅。

この町全体が1つの宿|四万十町ゲストハウス「Ekimaehouse SAMARU」

3度目は、同僚の男4人で高知旅。なぜか家族連ればかりのアンパンミュージアムに男4人でいって、桂浜へ。夜の高知市で栗の焼酎があると聞き。(今思えばこれがダバダ火振りとの出会いだったと思います)

翌日は、須崎で鍋焼きラーメンを食べようとするもお目当ての店が開いておらず、温泉に入りたいと選んだのが大正の一ノ又温泉。その後、新聞エコバックで有名だったできたばかりの道の駅とおわで親子丼を食べて帰りました。

この町全体が1つの宿|四万十町ゲストハウス「Ekimaehouse SAMARU」

こうしてみると、高知に縁もゆかりもない私ですが、なんだかんだで移住前にも高知に来てるし、四万十町とも何気に接触していました。

【きっかけは】

そのきっかけは「坂本竜馬」

あの時「竜馬がゆく」を読んでいなければ、坂本龍馬を好きにはなっていないだろうし、京都に住もうとも思わなかったろうし、部屋を引き払うついでに高知に行こうなんて思わなかったかもしれません。

この町全体が1つの宿|四万十町ゲストハウス「Ekimaehouse SAMARU」

竜馬さんが紡いでくれたといっても過言ではない高知との縁。

これからも大切に紡いでいきたいと思います。

 

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